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ここでは大峯山の各行場や名所、山先達(行場案内人)について簡単ではありますが説明しておきます。 【嶺霧露会(ねむろかい)】
風説を経る事1300年前、役行者が前鬼後鬼(ぜんきごき)を従者に大峯山に修行開山し修験道の根本道場を築く。行者遷化の後、遺訓を奉じ後鬼すなわち妙童洞川の里に永住し行者の徳を慕い入峯修行の衆生を守護す。末孫たる祖先は当時、「鬼頭組」と称して峯中の案内をなす。清浄な嶺の霊気を受け露を踏み共に修業する意味を含めて大正5年に嶺霧露会と改称す。 (峯中に建立の記念碑より抜粋) 【発心門(ほっしんもん)】
正式には「発菩提心門」といいます。「発心門」とは、昔は大峯山への参拝登山は吉野山よりお参りされておりその為、大峯修行の発心門として吉野山にあります「銅鳥居(かねとりい)」が大峯山の発心門といわれており、その頭上に掲げられている扁額には発心門と刻まれております。 【発菩提心(はつぼだいしん)】
悟りを求める、又それに向かおうとする心。仏になろうとする心を起す事。発心(ほっしん)は、仏道修行の第一歩であるがそこに入れば無限の広がりがあることを示す。実習実証の心を準備し山に入りては上求菩提。大自然、山、仏と一体となり修行し、山を出ては祈の心で「下化衆生」即ち仏の心で衆生に接する。との教えがあります。この門はこの地より大峯山に修行参拝される信者の方々が発心する門として「役行者千三百年御遠忌」を記念して建立し、その名「発菩提心門」と命名させて頂きました。 【結界門】
門には「女人結界門」と刻まれており、また横に建つ石碑には「従是不許入女人」と刻まれてあります。此れより先へは女性の入山を禁止する「女人禁制」の山です。 【鐘掛け岩(かねかけいわ)】
大峯山頂、本堂内西側奥に安置してある梵鐘を此処に吊っていたということです。昭和48年に国指定の重要文化財になりました。梵鐘の銘は「遠州佐野郡 原田郷 長福寺 天慶7年6月2日」とあり、今の静岡県長福寺からは現在も参拝に来られています。 【お亀石(おかめいし)】
この石は、「役行者の母が行者に会う為に亀に化けて此処まで来た」と云う話を聞いた事があります。岩の形が亀の背に似ていますが、これは仏教の宇宙観からきた金亀島を再現された物で、役行者が座禅修行33回目の時、真の悟りを開かれた清浄な場所と伝えられ聖地として崇められています。 【西の覗き(にしののぞき)】
「西の覗き」は無我の境地、即ち心の修行です。昔は六文銭をくわえ今までの罪業うぃ懺悔し、終わったときに口を開けて六文銭を下に落としたと云われています。「六文銭を落とす」ということは、三途の川の渡し賃を意味しています。 【大峯山寺本堂(おおみねさんじほんどう)】
大峯山頂上にあり国の重要文化財としては最高所にある最大の木造建築物で、修験道の根本道場でもあります。金剛蔵王権現を本尊とし、役行者が祀られています。洞川の龍泉寺、吉野山の東南院、喜蔵院、桜本坊、竹林院の五ヶ寺の護持院と、洞川・吉野の信徒総代が管理運営し、八島役講(大阪・堺の講社)が支えています。 【草鞋履き替え所(わらじはきかえしょ)】
油こぼしの下にあり、これから本格的に行場に入るという場所。終戦後2・3年後まではここまで履いて来たわらじを新しいわらじに履き替えた所です。多いときには付近の木がわらじでいっぱいになったといいます。 【等覚門(とうかくもん)】
門まで来ると人それぞれに悟りを開いて昨日まで住んでいた下界とは異なったある種の感慨を抱くようになります。等しく覚える門。即ち「等覚門」 【鷹のとや(たかのとや)】
その昔、ある講社が此処まで来た時、心ならずも一人の新客(初めて大峯詣りに来た人)が役行者を誹謗いたしました。すると突然一陣の旋風が巻き起こり新客は鷹の巣岩の頂上に吹き飛ばされました。降りるに降りられず前非を悔いても始まりません。そこで先達は部下の非を詫び、法力によってその新客の姿を蛙に変えて岩を降ろさせました。しかしそのままでは故郷に帰れません。そこで再度法力により人間の姿に変え山を下ったといわれています。毎年七月七日に吉野山金峰山寺で行われる「蛙跳び」はこの故事を元にしたものです。 【妙覚門(みょうかくもん)】
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西の覗きで全てを懺悔して最後に悟りを開いた人がくぐる門で、これを過ぎると弥陀の浄土「大峯山本堂」が見えてきます。 |